2012/09/25

日中関係: 文化交流の門を閉ざすな

24日に掲載された最新の朝日新聞の世論調査で、中国が好きと答えた人は3%のみ。「嫌い38%」が大見出しになっていたが、好き3%の方が僕には衝撃的だった。例え好きでもこの時期そう言い切れないというのは分かるが、たった3%とは驚きだ。たしかに、かの国の理不尽や非道徳も関心の対象として受け入れてしまう気持ちとか、異質なものの中に身を置きたい欲求とか、カオスや退廃を快感に感じる瞬間とか、そしてルーズな時間や規則を許容してしまう妙な寛容とか、その他諸々の中国愛が複雑に混じるこの感覚を、ただ「好き」と表現するのは表面的すぎる。だから「どちらでもない」を選んだ人も多かろう。でももし、二者択一であれば敢えて僕は「好き」を選ぼう。少なくとも古来アジア文明をリードしてきた偉大なる中華文明に対して深い敬意を示したい。悠久の中華文明の匂いがぷんぷんする二胡の音色にも、事実たくさんの日本人が魅了されているのだ。

ここはもう二胡の出番です。いや文化交流の出番です。文化人の力で、国交正常化以来最低となる3%を、せめて1020%あたりまで回復させようじゃありませんか。

しかし相手は中国であるから、そう上手くはいかない。領土問題が文化交流イベントにまで負の影響を与えており、日本でご活躍の二胡奏者・巫谢慧(ウェイウェイ・ウー)さんが11月に上海で予定していたコンサートも、彼女のウェブサイトに中止決定の知らせが掲載されている。ウェイウェイ・ウーさんはサントリー・ウーロン茶のCMを歌って有名になった中国人歌手aminさんのお姉さんだ。上海音楽学院で教授を務めた谷村新司さんが「文化は最後の砦」だと言っても、その最後の砦が、大陸と島国の混迷を前にして、力なく見えて仕方が無い。強硬な姿勢を崩せずに文化交流の芽を摘んでしまう現状には心から失望している。
だけども、文化人は諦めてはいけない。日中両国の影響をその作品や音楽に含ませているアーティストは、特にだ。だって、諦めきれないでしょう。相手となる中国の人が完全に日本から離れてしまっているのなら諦められるかもしれない。だけどそうじゃない。反日デモの根源を探ると、政権内の勢力争いであったり、90年代から始められた隔たった愛国教育であったり、大部分は明らかに“国”、いや“党”の政策によるものだ。文化人は、少なくとも僕は、人を相手にしているわけで、国や党のためにそのコミュニケーションを諦められるはずがない。

2005年の反日デモ発生当時は北京にいながら特に気にしていなかったけれど、今回日本でニュースを見ていて感じるのは、反日デモの発生規模や頻度はかなりの精度で誰かにコントロールされているということ。政府の意思一つで、全国一斉的にデモが起こったり起こらなかったりするし、大連のようにデモが起こって欲しくない地域では発生しないようにすることもできている。日本でも何らかのデモを権力でキャンセルさせること位は出来るかもしれない。でも中国では、国家が一般市民のデモを能動的に発生させることさえ出来てしまっているように見える。ではこれは“人”による民意なのか、“国”や“党”が作り出したものなのか。だから、馬鹿にされたとしても、大学時代から目指した「日中友好」なる絵空事みたいなことを諦めずに二胡を弾いているわけ。もちろん、ただ純粋に音色が好き、というのもあるけども。

920日朝日のオピニオン欄に「日中これからの40年」と題し、中国版ツイッター・微博で発信中の蒼井そらさんと、日本在住の有名中国人ブロガー唐辛子さん、それから「中国で一番有名な日本人」とラベリングされた国際コラムニスト加藤嘉一さんの3人によるとても素晴らしい文章が掲載されていた。唐辛子さんは、日中友好の前にまずお互いリアオチエ(了解)=理解するところから始めよと言う。日中友好という言葉はどこか好きではない、とも。リアオチエ促進には大いに賛同するし、ただ笑って日中友好を叫ぶのは違うという気持ちもよく分かる。冒頭の世論調査で高いパーセンテージを占めた「嫌い」は、きっとお互いの理解不足が大きな原因だ。中国は国家や省に自治区、そして人と、それぞれ人格が驚くほど違うキメラの国。「嫌い」を選んだ人にも、絶対「好き」になれる部分がある。最後の砦を守る人たちよ。門を閉ざしてはいけない。

----- 弦之歌二胡研究会 - 横浜、海老名