2013/01/25

朱子曰く、一音一フレーズずつ良く考えて弾け、と

朱子语类卷十有这样的格言;今之学者,看了也似不曾看,不曾看也似看了。

自分が大学のときに勉強したらしい、中国の朱文公(朱子)の言葉を整理した「朱子語類」を読み直しています(―「らしい」と言うのは、もう忘却の彼方へ飛んでいってしまっていたから)。日々情報に溺れ、やることに追われ、やっているようで何も身についていないような感覚を、ズバリ指摘してくれるような格言に再会しました。

朱子曰く、「最近の学者と来たら、以前勉強したことを初めて知るかのように聞き、初めて学ぶことをまるでもう知っている事のようにやり過ごしてしまう」。

勝手な訳ですが、まぁ大意はこういうことです。仕事柄、平日日中は大量の文章、情報に日々溺れているわけですが、夕方、さて自分は今日何を学び得たか、と問い直すと、情報に溺れたことは思い出せても、具体的に何を得たか整理が付いていないわけです。つまり成長が見えない。

朱子はまた、こうも言っています。

朱子又曰;书宜少看,要极熟。读书之法,读一遍了,又思量一遍;思量一遍,又读一遍。若只是口里读,心里不思量,看如何也记不仔细。又云:今缘文字印本多,人不着心读。

「書物は多く読むべきでなく、精読すべきもの。文章を読むなら、一度読み、一度考える。考えた後は、また一度読み直す。ただ読み進め、思慮をめぐらさないならば、どんなに沢山読んでも心に残るものは無い。今の世は文字にあふれ、読む人に用心が欠けてしまっている。」と。

朱子っていつの時代の人なんでしょう?・・・1130年から1200年、の人だそうです。この時代にも、情報に溺れていた人がやっぱりいるんですね。

楽譜も書物と同じだと思います。たくさんの作品にあふれ、用心に欠いた心でたくさん練習しても、成長は無い。そういうことですね。練習曲も楽曲も、ほんと一小節、一小節ずつやっていくしかありません。「一度考える」、という過程も大切ですね。朱子語類、時代を越えて心に響くすばらしい言葉がたくさんあります。

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